何があったって、生きてるのが一番

 

f:id:Authentic_life:20211030090602j:plain

 

まるで通過儀礼-イニシエーションのような激動の一年が過ぎて、46歳になった。

さいころからなぜか人生90年と感じていて「ちょうど半分」という感覚と「全く新しい人生が始まる!」という予感にあふれて迎えた去年の誕生日。

9月にセドナ、誕生日直前には熊野を旅して準備万端。まさか、前半生の総仕上げのような、生きる意味を、こんなにも問われる1年になるなんて思ってもいなかった。

 

12月14日。エナジーワークの合宿でハワイ島にいた私に突然降ってきたのは「長野の家が大きな火事になっている」という知らせ。

そして、長野の家は完全な全焼となって、何一つ残らなかった。

こたがこの世にいたんだということを示す、母子手帳や写真。使っていた洋服も、ゲームも漫画も。こたの面影を感じられるものの全て。年月をかけてわたしの手元に来て、共に生きた、わたしがどんな人なのか、だれなのかを示す品々。いまは亡き祖母に買ってもらったパール、集めてきた食器やキッチン用品、アクセサリーや時計。旅先で買ったあれこれ。日用品やレジャー用品の数々。更新する旅に手元に残していた古いパスポート。

日本に戻ったら、こたも含めた全てが消えていた。

あの日、こただけじゃなくて、それまでのわたしの人生も、消えてなくなったんだと思った。何度考えても続きな感じがしない。体は同じだけれど、わたしが誰なのか、何なのか輪郭がぼんやりしていて、パラレルワールドに吹っ飛んでしまったような。

どうしようもなくて、気づけば2月の沖縄、6月のハワイ島、9月の東北と旅ばかり。自分と現実から距離を置いて、ある意味では休息、ある意味では逃避、そして少しずつ真実と向き合っていった10か月。

なのに、前半生の締め、終了間際に待っていたのは乳がん。「スピリチュアルな人生を堪能したいんだよね?心の底から宇宙や自分の真実とつながりたいんだよね?じゃぁこれはどう?」とばかりの約2.5センチの左胸のしこり。

一体、何なんだろう。もう笑うしかない笑。

46歳の誕生日の今日、ハワイ島にいて、とりあえず私は生きてる。
ワイ島はいつだってパワフルで、たくましく躍動していて、美しくて。
最愛の子どもと全所有物を失って、乳がんになって。
どうみたって不幸のトリプルパンチなのに、世界がどんどんビビットになって、去年の誕生日より今の方が幸せを、生きる意味を、命を、愛を感じているなんて。

Happy birthday to me.

こんな私がいまここに生きていることに、きっと何か意味があると信じて。