常識と経験と責任感をぶっ壊していこう

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新型コロナウィルスにより学校の休校が始まったのが3月2日。

この2か月、息子との二人っきり生活をどっぷりして、改めて分かったことがいくつかある。

 

【得意なこと・好きなこと】

・漫画→1日中読んでいられる(ほぼあらゆるジャンルのもの)

・動画→1日中みていられる(映画でもYouTubeでも一定の質以上のものであれば)

 

【条件付きで得意なこと・好きなこと】

・ゲーム→友達と一緒にするのは大好きだが、一人でするのはそんなに好きではない

・本→漫画の方が好き。でも図書館に行くと、数時間はひとりで本を読んでいる。

・外遊び→基本的にインドアだが「庭に穴を掘る+カエルと取りまくる→カエルホテルを作る」といったごっこ遊びの延長のような遊びは始めるとのめりこむ

・散歩→無目的に歩くのは嫌いだが「ケーキを買いに行く」などインセンティブかつわかりやすい目的があるなら楽しめる

 

【苦手なこと・嫌いなこと】

・生活のためのあれこれ(服を着替える、食事をする、風呂に入る、片付ける)は徹底的に面倒くさい

・教科書&ドリル的な、紙とペンでするような勉強全般はちらっとみるだけで、怒り爆発

・時間で動く

・集中できることがない状態(ひまでいること)→イライラして怒り爆発

 

こうやって整理してみるとわかるけれど、一般的に彼が苦手&嫌いなことは「日常においてやらなければならないこと」であって、彼が得意&好きなことは「制限されることの多い趣味」である。

 

この2か月間、なだめ、褒め、怒鳴り、ルールを決め、ご褒美を与え、罰(●●禁止といったような)を与え、考えられる限りあらゆる手を尽くしてみたけれど、「やりたくないことをやらせ、やりたいことをやらせない」というのは母子の関係を悪くするだけで、なんだか毎日全然楽しくない。気が付いたら我が子が可愛くないし、自分のこともちっとも好きになれない。

自粛生活で朝から晩まで二人っきりなのに、まだまだこの生活は続きそうなのに、これはまずい。非常にまずい。

でも、まずい時というのは学びの最大のチャンスでもある。

何でこんなことが起きているのか?私はここから一体何を学ぶのか?何を手放して、何を獲得して、どんな風に進化したいのか?

 

まず手放すのは

・人としてちゃんとしていなければならない

・嫌いなことや苦手なこともやらねばらない

・勉強と将来の幸せに相関関係があるという思い込み

・好きなことばっかりやっているなんて悪だ

の4つだ。こいつらがあると不安や恐れが湧いて、こたを縛りたくなる。これは全部捨て去ることにする。

 

そして得るのは

・信頼

・安心

・人生はものすごく楽しい

だ。こたを、そして自分を今一度しっかりと信頼する。世界に対する安心感をお腹いっぱいに広げる。そして、生きる事は歓びにあふれていて「めっちゃ楽しい!!!」って細胞レベルでワクワクする。

(この辺の捨てたり得たりは、瞑想の中でがっつりやる)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うん。やっぱりやりたくないことは、やらなくていい。

楽しくないことやワクワクしないことをするのは本当に非効率だし、頭にも心にもよくない。

 常識や経験、母としての責任はぶっ壊そう。

そうだ、こたの家での勉強は大得意で大好きな漫画と映像に絞ろう。

着替えも食事も風呂も、体と心の声をきいてすればいい。

ゲームとYouTubeもまぁ適当に笑。

 

ふぅー。深呼吸。

 

 

 

 

 

温暖化なんて言ってられない 気候危機なんだ

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「気候変動と私たちの暮らし」というテーマでの情報シェア&ディスカッションの会に参加してきた。
 
正直なところいま地球で何が起きているか、どんな未来が待ち受けているのかあまりよくわかっていなくて「なんとなく」で地球に良さそうなことをしたり、悪そうなことをやめたりしていたのだけど、世界各地のいろんな機関や研究者が発表しているデ 
 
 

「たねと私の旅」を観る。

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「たねと私の旅」を観る。

https://tampopofilms.info/tane/
GMO食品とは何か。GMO表示に関するカナダ、アメリカ、そしEUの動きは。

国の対応には差が有るけれど、どの国の市民も自分の身を守ることに意識があって、そのために行動を起こしていることに、感銘を受ける(映画的に活動をしている人を切り取っているのだとしても)。

なんだか日本国民は全体的にぼんやりしているなぁ。どうでもよい話題(芸能人の不倫とか薬物使用とか)ばかりが報道され、地球規模で起きている本当の問題に気付いていない(ということにも気付いていない人がほとんど)。まるで眠らされているみたい。

そういえば小さい頃からお金、政治、宗教の話はしてはならないと言われて育った。特に女の子は。大事なことなのに。わたしの中の深いところにあるその呪い(眠っておきなさい的な)から解放されなくては。

こっちにきていわゆる「移住者」になったわけだけど、そのコミュニティには色んな人がいて、それぞれの考えや思いがくっきりしてる人が多いのが面白い。そして社会をより良くしていくために日々の選択をしている人、さらには具体的な活動をしている人が多い。

都会にいるとどうしても「消費と批判」にばかり気を取られる。モノも情報も溢れ過ぎているからなのか、煽るエネルギーのせられてしまうからなのかはわからないけれど。でも、ちょっと前までは私もその渦の中にいて「知恵を使い買い物をすること」や「社会をどうしたら良いかを対話すること」なんて考えもつかなかった。「消費と批判」に大事なパワーを使うなんて無駄なのに、それ以外の命の使い方を知らなかったんだから仕方がない。


今回の上映会はこたの学校の先生2人が、個人的な活動として企画してくれたもの。本質的な問題を認識し、活動する大人が先生でいてくれること、その活動を共感・応援する保護者や町の人に囲まれていること。幸せだなぁと思う。子どもたちの未来へ与える大人の影響は大きいから、眠っている大人より目覚めている大人がそばにいた方がよいに決まってる。

映画の感想を書こうと思ったら、全然違う方向にいってしまいびっくり。
Facebookの投稿用に書き始めたのに長文になってしまったので、久しぶりにブログの存在を思い出してアップしてみる。なんか楽しいかも。

水と山があるから。

 

佐久市民になってあっという間に20日。家の中が8割ほど片付いて、1日の流れも出来てきて、ようやく生活が落ち着き、土地にも少し馴染んできた。

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今週になってやっとあたたかくなってきた!あっちにもこっちにもつくし。

佐久は東京から新幹線で1時間ちょっと。新宿と池袋から高速バスも出ていて都内からのアクセスが良いし、生活に不便はあまりなくて(車は必須だけど)、都会では全くないけれど、ものすごい田舎でもないところ。でもその生活には東京とは違う豊かさがあって、それはやっぱり自然のなせる業だなぁと思う。

特にサポートを感じるのは水と山。

私の住む臼田地区の水は佐久穂の大石水源地からきていて、蛇口をひねると消毒臭のないピュアな水が出てくる。飲むとほんのり甘くて、お風呂に入れれば柔らかくて優しくて、髪を洗うとふわふわになる。ペットボトルの水を買ったり、蛇口に浄水器をつけていたことを思うと、毎日「なんて贅沢なんだろう!!!」と興奮する笑。天候等によって消毒液を入れることがあるそうで、そんな日は一発で「うへ、今日の水、まずい」とわかるのだけど、東京ではもっとまずい水でも平気で過ごしてた。人って気持ちの良いものにはすぐ慣れる。

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佐久穂町 元気が出る公園(通称げんでる)の芝生の広場から

佐久は高い建物がなくて住宅が密集していないので、どこからでも山が見える。我が家から北(佐久平、軽井沢方面)に向かうと浅間山、南(佐久穂、八ヶ岳)に向かうとアルプスが見えるので、運転中も山を見れば大体の方角の検討がつくのは、土地勘が全くなくて、ナビをたよりに日々ドキドキしている私にはとてもありがたい。友人にこの話をしたら「山を見て方角を確認って、昔の人が星を見て旅していたみたいだね!」と言われたけれど、確かにそんな感じかも。

雄大な山々に囲まれていると、まるで山が人の日々の営みを見守ってくれているようで大きな安心感があって、山小屋のタケさんが「小さいころから山に囲まれて過ごしてきたから、山が見えないところは不安になる」と言っていたのが少しわかる気がする。朝子どもを送りながら浅間山に「おはよう」とあいさつをして、夕方迎えに行きながらアルプスに「今日もありがとう」を言うと、色んなことがあっても自分の中がすーっと広くなって整う気がする。

ちなみに高い建物が無いってことは空が広いっていうことでもあって、山と空ののびやかな開放感が日常にあると、それだけで内側がゆったりしやすいのか、佐久の人たちはみんなとても親切でおおらか。

自然が破壊されて、工場や住居が密集して排水が出て川が汚れて、けれどもう自然の循環の中では簡単にきれいにはならないから水に消毒を入れ、それを浄化するために浄水機をつける(遠方の水を採水してペットボトルにつめて運ぶ)ってなんか変な感じがするけどそんなもんなのか?ってぼんやり思っていたのが、そうではない生活もあることを知ってしまうと、違和感しかない。だからといって今すぐその流れを180度変えられるわけではもちろんないから、まずは自分の身の回りのこと、手の届く範囲のことをしっかり頭で考えることなんだと思う。

というわけで、次回は気づきが多かった佐久市のごみの分別の話。

がっこうだって どきどきしてる

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4月10日に開催された「入学を祝う会」当日はまさかの雪。

真っ白な世界が、子供たちがカラフルに染めていくであろうキャンバスのように見え、到着するなり校庭を走り回る子どもを見ながら「大地に祝福されているなぁ、やっとここまできたなぁ」と思わず涙がぽろり

校舎に入ってすぐ左に、たくさんのビーズクッションが並ぶプレイスペース(?)があって、棚にはいろんな楽器。いきなり片っ端から手に取りチーン、パンパンと試す我が息子だけれど、もちろん誰も怒らない。

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こんなに素敵においてあったら触らないわけにはいかないよね……

 

「入学を祝う会」は座席がサークル型に並んでいて、先生と来賓の席以外はどこに座ってもOKなのでそれぞれが好きなところに座る。が、息子は席には座らずあっちにふらふら、こっちにふらふら。

式典のような雰囲気に敏感に反応してテンションが上がってしまうのはいつものことなので、それ自体は想定内。でも理事長の中正さん、校長の桑原さんが話される時に目の前ににじりよっていく姿には、さすがに親としてドキドキ、はらはら。でもぐっと堪えて見守りながらスピーチに集中してみる。

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なぜそんなとこでそんなにくつろげるのか、母ちゃんはちっともわからないよ笑。

すごいのはお二人が全く動じず、注意するでもなだめるでもなく、目立たぬようにアイコンタクトを取って存在を承認した後、普通にスピーチをされていたこと。キーメッセージは中正さんが「自分らしさ」、桑原さんは「共に創る」。その場での在り方と共に聞かせていただいたからかとても心に響いて、きっと卒業まで忘れない。

 会はゆるやかなピアノの演奏の後、先生による「がっこうだって どきどきしてる」の朗読から始まる。ざわざわしていた子ども達もすーっと聞き入って、静かになる会場。誰も「静かに!」と注意せず、強引に仕切るのでもないこういう始まり方こそがらしさだなぁと初っ端から感動してしまい、先生の優しい声にまたもや涙がぽろり

 

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その後、教職員紹介、子ども&家族の紹介、学校との繋がり・関係性がしっかりと伝えられる来賓の紹介、あたたかな祝辞と続く。

 体育館での全体の記念撮影にもクラス写真にも、うちの王子は写らずじまい。せっかくの記念なんだからなんとか入ってほしいなぁという親心と、入りたくない子を尊重したい気持ちで揺らぐ。

クラス移動の間に嫌なことがあったようで、教室での初めてのサークル対話にも入らず、脱走。もー、いいけどさ(→本当はあんまりよくなくって、まだまだ見守り修行中笑)。

途中から学校の記録撮影をしているお兄さんと仲良くなってカメラを見せてもらい、ご機嫌な王子。お兄さんは「いやぁいい絵(うちの子の様子)が撮れてますよ。これからどう成長するかが楽しみですよね~。」だって。確かにテレビだったらドキュメンタリーの幕開けとしては最高すぎる笑。

 

いよいよ始まった、新らしい小学校。

これまでに蓄積された「学校アレルギー」で、「学校」という存在に反発・抵抗・無視を決め込み始めていた小3男子

そして、一緒になって「学校アレルギー」になりかかり、学校との対話をあきらめ始めていたわたし。

親子そろってどんな風に変化・成長していくのか、やっぱりわくわくしかない!

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信頼が成長をサポートするんだ

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4月に子どもが入学する小学校のイベント「冬の学校」に参加してきました。

我が家はHPやリヒテルズ直子さんの著書からのイエナプランに関する情報と、説明会での先生方とのちょっとした触れ合いだけで直観的に入学を決めたのでイベントは初参加。

「やっぱりちょっと違うかも」とか「子どもが行きたくないと言いだしたら」とか若干の不安を抱きながら佐久穂に向かいましたが、全くの杞憂に終わりました。

不安をきれいさっぱり拭ってくれたのは、子どもの反応と先生からのフィードバック。

こういったワークショップでは大抵アクティビティ(課題)がありますが、学校の授業もなかなか集中しない子が、初めて来た場所かつ初対面のメンバーで大人しく参加するはずもなく、今回も課題はほぼスルーだった模様。まぁ、これは想定内。

これまでもいろんなイベントに参加してきましたが「課題はほとんどやりませんでした。途中、声かけをしたり注意をしたりもしたのですが、なかなか集中できず、外に出ていってしまう事も多くて・・・・・・。」というフィードバックがほとんどで「力不足ですみません・・・」と謝っていただくことも(いやいや先生は全く悪くないです)。子どもも「やりたくない事ばっかりでつまんなかった~。先生にも怒られた。ちぇっ。」(いやいや先生も困ってたよ)ということが多く、その場から逃げ出して「帰りたい」とぐずるのもよくあるパターン。

 

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ところが今回はクラスの時間どころか昼食の時も親元に帰ってこず、終了後は「すごく楽しかった!お友達もできた!早く学校に行きたい!!!」と「!」の連続。なんでそんなに嬉しかったのかな~と思っていたら、先生からのフィードバックでその理由が明らかになり、夫と二人で目からウロコが落ちました。

 

 〇校長先生のフィードバック

お昼休み「課題は全然やってなかったよ。でも座ってたよ。」

終了後「こたろうにはリーダーシップがあるように見えるね。そこを伸ばしていきたいね。」 

〇教頭先生のフィードバック

「今日は一日自分の自由、わがままがどのくらい通るか様子を見ていたように見えました。今日の様子をみて『学級崩壊』と言う人もいるかもしれないけど、力で言うことをきかせてもそれは何の意味もないから、これから先生や周りのお友達との関係ができて、自分のやりたいことと周りのやりたいことを調整していく力がついてくるといいですね。ちょっと時間はかかると思うけれど、怒られてできるようになってもそれは全く逆効果。むしろこちらが何も言っていないのにひたすら言うことをきくような子ばかりがいたとしたら、それは一見クラスがまとまっているように見えるけど、関係性と言う意味では崩壊していると私たちは考えます」

 

教頭先生のお話で、先生や親の指示で動く力は「『力のある人の言うことに従う力』ではなくて『ソーシャルスキル(関係性の構築)』として養うべき」という事に気づいたのもウロコぼろぼろだったのですが、なにより今回のフィードバックで響いたのは子どもがふざけていようが歩いていようがそこには捕らわれずに、子ども(の可能性、というか存在そのもの)を深く信頼し、内側をじっくり観察してくれていること。これまでいろんな場所でもらってきたフィードバックとは明らかに目線・質の違うコメントに、帰り道は「親として子どもの存在を信頼して、ジャッジせずに成長をサポートできていたかなぁ」と私たち自身を振り返る時間になりました。

そういえば子どもが大日向小学校への入学を決めたのは校長先生との触れ合いからで、まだ工事中の小学校の中を家族3人のためにぐるっと案内してもらった後「あんな校長先生いるんだね。ぼく、あの先生信頼できる。あの学校に行きたい。」と言ったのでした。

そりゃぁ、自分が信頼されているのを感じたら相手も信頼するよね。信頼されたら楽しくて学校行きたくなっちゃうよね。

学校に関わっていく中で、家族みんなで成長していくんだろうなぁという確信がふつふつと。

親のワークショップでの気づきはまた後日。。。

 

 

家を探す<佐久穂町>

移住を決めたらまずは「家探し」。

 

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「学校に近い方がいいよね!」と学校のある佐久穂町佐久市の南)で気楽に探し始めましたが、販売、賃貸両方とも物件そのものがほとんどありません。

町を車で走っていると「どうみても空き家だよね」という家があちこちにあります。でも町の空き家バンクの登録数は少なく、不動産屋さんに聞いても物件が出てこない。

町役場の方に伺ったところ、学校が開設されるにあたって相当数の移住が見込まれているため、役場でも空き家バンクの登録に奔走してくださっているとのこと。けれど

・知らない人に売ったり、貸したりして周りの方に迷惑がかかると困る

・家は別に建てて住んでいるけれど、畑が家の近くにあって、お昼だけ使っている

・お正月に親戚が集まる時だけ使っている(なんと贅沢な!)

といった理由で断られるそうです。

東京だったら

①新しい学校ができ、相当数の移転者が見込まれる

②近隣にマンションや建売住宅がどんどん出来る

③さらにスーパー、病院、子どもの習い事の教室などができる

あっという間に地域の風景が変わっていくはず。

空き家があっても物件が無いことに驚いた反面、町に住む方々の時間やお金の流れ、大事にしているものがちらりと見え、<ここで生活し、子育てをすることで私自身も多くの学びがありそうだ>と、背筋がぐぐっと伸びました。

 

ちなみに町役場の方も、その後に出会った地域おこし協力隊の方も「住み始めて、町の人と仲良くなっていけば、自然と『家困ってるなら貸してやるよ!』と言ってくれる人が出てくると思います」と言っていました。

それこそ私の目指すところ。「○○円なら家貸すよ/お金払うから家貸して」ではなく、「困っているなら家貸すよ/大事に使うから家貸して」な関係・世界を作っていきたい。

これまで暮らしてきた社会や地域とは違うであろうコミュニティの大事なもの、その理由や背景を少しずつ知っていきたいと思います。


(目標:佐久穂町で、自然な流れの中で、家を貸していただくもしくは購入する!)